November 22, 2005

課題「Urban Detached House 都市戸建て住宅」

ヨーロッパの都市の多くは、集合住宅でつくられていますが、東京は、戸建て住宅の集合でできている都市といっても過言ではないでしょう。それは戦後の日本の住宅政策が「持ち家制度」といわれる個人資本をもとにしたものであったことが背景としてあるかもしれませんし、木造文化や人々の好みもあるかもしれませんが、とにかく東京は個性というものが尊重され、それ故に、住生活の多様性が築かれててきたといえます。しかし、これまではこうした小さな家が密集して並ぶ風景は、兎小屋と称されて、ネガティブにとらえられてきました。ただ、本当にそうだったのでしょうか。そうした視点から、戸建て住宅による都市という東京の都市の仮説を軸として、現代における都市と個人の問題を考えたいと思ったのです。

課題用紙
都市はさまざまなの建物の集積である。
それぞれの都市には、それぞれの家の形式があり、そうした家の形式は、そこに住む個々人の生活スタイルや欲望(インディビジュアリティ)と、それぞれの都市の制度や文化による社会性や公共性の狭間に存在する。それゆえに、個人住宅を観察することは、個人や都市を観察することでもある。
こうした仮説に基づき、この課題では、さまざまな都市での戸建て住宅のデザインの可能性について考察するものである。学生ひとりひとりが、スイス以外の都市に住むクライアントのために、個人住宅を設計する。プロジェクトそのものは架空であってもよいが、クライアントと敷地については現実の人物と場所を設定する。クライアントへのインタビューを通して、個人の住宅に対する要望、設計条件(都市における敷地の選択、家族構成、機能、趣味、ライフスタイルなど)の整理を行う。また敷地条件、周辺環境、法規、一般的な住宅の分析を通して、それぞれの都市住宅の社会性についても検討する。この2つの条件を組み合わせることで、ユーモラスなそれぞれの都市の現代的な都市住宅について考える。
なお、私の担当する4学期においてこのテーマは持続される。取り扱う都市は1学期6都市ずつ、1学期目、ヨーロッパ、2学期目アジア、3学期目アメリカ、4学期目アフリカ、中東を予定している。
スタジオの最終的な目的は、24の都市や個人を横断的に眺めることで、現代における都市型戸建て住宅の可能性を提示したいと思う。(2005年8月)

Written by KAIJIMA Momoyo : 03:39 AM

November 16, 2005

アシスタント

ETHZは卒業までに最低でも5年と半年かかります。4学期の基礎コース、10ヶ月間のインターン、その後4学期の上級生コース(これが日本の大学院ぐらいに相当)、約3ヶ月のディプロマです。ただ、実際にはこちらの学生はそれほどストレートではでません。途中に休みの学期をいれたりして、じっくりやっている人が多いのです。
わたしの担当するスタジオは、上級生の5学期から8学期の学生が選択する設計課題のスタジオです。15ぐらいのスタジオがあり、そのうち4スタジオは、専任ではない、客員教授で、スイス国内、海外からの建築家のスタジオです。つまり、約2/3はETHZらしい、かちっとしたカリキュラムで行い、それらを相対化するようなものとして、別の建築のスタイルや文化を取り入れるための枠組みが用意されているわけです。
 ひとつのスタジオの学生数は、専任教授は60名、客員教授は24名〜35名が定員です。わたしのスタジオは、24名を定員にしてもらいました。
またスタジオ運営には、アシスタントがいます。彼らの多くはETHZを卒業した20代から30代前半の建築家で、それはスタジオの規模に応じて2人から10人ぐらいまでですが、トータルすると200人以上アシスタントが建築でいるというのですから、いかにアシスタントというポジションが重要なのかがわかるでしょう。
 彼らは学生と教員をつなげる役割を担っていて、この仕組みのおかげで大学には、若手の建築家たちが自然と集まってくる。もちろん将来の教育に携わる人々の訓練の場にもなるわけですし、若手をサポートするシステムにもなっています。
 わたしのスタジオでは、事務官のひとから奨められたように、3名のアシスタントをお願いすることにしました。最初の2名については、わたしのスイス留学時代からの友人でもある、日本人の建築家とスイス人の建築家に打診したところ、快く引き受けてもらえました。あとの1名については公募することになり、30名近くがポートフォリオを送ってくれましたが、面接の結果、主に雑誌の編集、建築批評をしているスイス人の建築家にお願いすることになり、3者3様の頼もしいアシスタントチームになりました。

Written by KAIJIMA Momoyo : 09:49 AM

November 15, 2005

再訪ETHZ

6月にスイスのビュルクドルフの専門学校からレクチャーの招待を受けたときに、3年ぶりに客員教授の仕事のミーティングのため訪れました。ETHZのキャンパスは町中と、ヘンケルベルグという丘の上の牧草地の中の2つに分かれていますが、建築学部は大きな学部で、スタジオなど広いスペースを必要とするので、ヘンケルベルグの中にあります。わたしのいた9年前は、牧草地の中に、建築学部のある茶色い70年代の建物と、それ以外にその他の学部が入った青い建物が並んでいるだけでしたが、その後、教授でもあったマリオ・カンピによる科学の校舎や、カフェやコンビニエンスストア、本屋、材料購買部のための店舗の建物などができて、すっかり街になって、見違えるようです。現在はさらにここに学生寮や文化施設も建てよう構想が立ち上がっているようで、敷地の北側に工事現場が展開しつつあります。その便利さは嬉しいのですが、よく友人と牧場の牛をみながらのんびりと屋上で昼ごはんを食べたりしていた私としては、ちょっと残念な気もしましたが。
建築学部には主任、会計、学生担当、一般の4人の事務官がいて、わたしがなにかするときは、それぞれの担当のところにいかなくてはいけません。ミーティングでは、給与や交通費のこと、全13週ある1学期のカリキュラムの内容と進め方のこと、スタジオのアシスタントの公募について話しました。交通費についてはETHZが払うとのこと、全13週全部スイス滞在するのは大変なので、2週に一度ぐらいの8週間で行うこと、その期間日本の大学でサバティカルをとること、世界の都市での戸建て住宅の課題をしたいこと、日本へのセミナー旅行を企画したいことを話し合い、アシスタントは3名が運営上よいと強く奨められました。
また主任教授ともあって挨拶をしましたが、「スタジオ運営については全権を委任するので自由にやってほしい」「ETHZは元来しっかりとした実務を教育する組織なので、その点を盛り込んでほしい」「生徒たちの視野を広めるような教育を考えているので、他の分野の技術者とコラボレーションするようなことを考えてほしい」の3つをいわれました。
話し合いが終わって、とにかく、それまで、紙一枚がきただけで、「本当に教えるのかなあ」と不安に思っていましたが、事実であったことが、改めてひしひしと感じられてきました。

Written by KAIJIMA Momoyo : 09:38 AM

ETHZと私

ETHZは1996年の夏から1年間、勉強した学校です。
スイス建築について知りたかった私は、当時客員教授であった、スイス人建築家ペーター・メルクリのスタジオで、2学期に渡って、チューリッヒの集合住宅の課題を勉強しました。メルクリは、現在はさまざまなコンペで勝って小学校やオフィスビルのプロジェクトなどを大きなプロジェクトを手がけていますが、当時は戸建て住宅や集合住宅のプロジェクトなどを一人でじっくりと設計していました。スタジオで学生たちと議論する時間をとても大切にしていて、幸運なことに彼といろいろが議論をすることができて、私にとって、メルクリは影響を与えた重要な先生の一人といっても過言ではありません。
ということで9年ぶりの母校に戻ってこられるのは、とてもうれしい話でした。スイスではたくさんの友達ができたのですが、やはりスイスと日本は遠いので、自分自身も3年ほどきていませんでした。
なにげなくETHZから、メールと手紙がきたのは今年の4月のことでした。内容は主任教授のエベレ氏から、秋からの2年間の客員教授の招待状で、ひとまず大変興味があると返事を書きました。すると3週間後ぐらいに、あさっての教授会にかけるから、受けられるか受けられないか、至急返事がほしいとの連絡がきました。塚本に相談したら、せっかくだからやったらどうかとといってくれたので、了解のメールを出しました。

Written by KAIJIMA Momoyo : 09:34 AM

スタジオのはじまり

貝島は、2005年秋から4学期に渡って、スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETHZ)で、デザインスタジオをもつことになりました。せっかくなので、そこでの報告日記を書こうと思います。なにゆえ、ずぼらなもので、どこまでつづくかどうかわかりませんが、わたしの家族や友人、スタッフ、学生には、「生きているよ」という証拠として、スイス建築に興味がある方、スイスに留学したいと考えている方には、参考に、また大学教育に携わっている方には、こちらの大学の制度についての紹介にもなればと思っています。

Written by KAIJIMA Momoyo : 09:29 AM